憂鬱で辛いとき

憂鬱とは、魂が求めているのに、何を求めているのかがわからない。求めている気持ちが満たされない。どうしたらいいのか、わからない。

憂鬱は、魂が新しく何かを求め始めているから感じ始めるものです。求め始めることができているというのは、魂が開いてきているからです。憂鬱は、あなたの魂が開いてきているサインです。

まずは、憂鬱である状態を、魂が覚醒してきている状態として受け止めて見ましょう。それは悪いことではなく、私たちがさらに幸せになりたくて起こっている現象であり、前に進んでいるということなんです。

<憂鬱の受け止め方>

私はまだ知らない何かを知ろうとしている、受け取ろうとしている。

力を抜いて、自分を信じよう。私の魂は必要なものを全て惹きつけている。それが生きている、存在しているということそのものだから。

だから惹きつけたものを受け取って行ってみよう。力を抜いてみよう。力を抜いて、自然に反応してみよう。


リラックスする、力を抜く、自分への信頼感となるスピリチュアルな意識のありようを育む以下のヒーリングを、リーブスヒーラーは提供しています。

🌟 顕現プラクティス

①エネルギーを使った整体などで物理的に体を整えながら、

②感情や気づき、心身の変化にも重要なエネルギーの流れを整え、

③オーラの調整を通して健やかな精神の状態を、

④一人一人の生命と魂の目的に合わせて最善に調整しつつ、

⑤総合的で自然な自己覚醒を助けるヒーリングです。

🌟 護プラクティス

魂が引き寄せているものは、本来私たちを見たし幸せにするものです。ところが、魂の引き寄せる、様々なご縁や人間関係の物理的な形としての波動は、覚醒していない状態の私たちにとっては意味不明だったり、邪魔に感じるものです。それによって、辛い気持ち、人と会いたくない、人のいるところに行きたくない、生きるのが辛いなどの状態が起こります。

魂の本来の目的が達成されるように、波動でのやりとりを独自の宇宙的愛で満足させるワークです。それにより、あちこちから常に送られてくる波動を、ネガティブな力や影響として感じることがなくなります。また、波動でつながる様々な人間関係をポジティブで意味あるものに変化させ、今いる環境と世界を居心地の良いものに変える革新的なヒーリングワークです。

🌟 ずっと癒しが続く、独自の自己治癒アプローチ

これらのヒーリングで行う調整は、ヒーリングを受けた方の中に残り、自主的な癒しと変化を続けられるように施術します。これはリーブス独自のアプローチで、「自己治癒」と呼んでいます。一回のヒーリングでも、リーブスヒーラーは、一人一人のニーズを見極めて、丁寧に心のこもったサポートを提供できるプロとしてのトレーニングを受けた方々です。

リーブスヒーラーは、リーブスインスティチュートのこちらのページでご紹介しています。

あなたに寄り添う、リーブスヒーラーのご紹介

これらのプラクティスは、リーブスヒーラーさんによってそれぞれの追加ワークや特徴がある場合があります。また、対面セッション、遠隔セッション、電話セッションなどのやり方も、それぞれ違っている場合があります。リーブスヒーラーの紹介のページからまずはお問い合わせください。




それでも憂鬱は辛いです。私はとりあえず以下のように、憂鬱を受け止めて、自分に優しくするところから始めています。私は自然や宇宙とひとつである自分に立ち返ります。自分の孤独でさえ、世界と共有します。

何も変わらなくても、そうして存在している、私が生きている、そのこと自体が私に勇気をくれます。

あるいはこんな方法もあります。

外がまだ明るい時間なら、空を見上げる。すぐ近くの自然を見る。風を感じる、雨をみる、太陽のぬくもりを肌で感じる。

草を見る、花を見る、木を見る、土を見る、水面を見る。空も自然も、私の状態とは関係なく、そのまま、いつものまま。

そして全部つながっていて、それぞれに影響し合っている。そこには私もいる。

しばらく見続けていると、時間の連続性のその先に平安もある。暗い夜なら、窓を開けて、夜の湿度や冷気を感じて見る。夜にしかわからない、木々や水の匂いもある。

目を瞑っても感じられる冷気や、湿度、匂い。なんだか色んなものが近くに感じられる。自分の孤独が世界に広がる。

世界の全てが、私の孤独を一緒に共有しているように感じる。実際はどうであれ、そう感じると、ちょっとした絶望と一緒に諦めが生まれる。

一体何度、こうした孤独と憂鬱を感じてきただろう。何度も何度も助けを求めて、でも助けられる人はいなくて、自分で選ぶ、気づく、それしかないことがわかってくる。

でも選べない、気づけない時には、とりあえず休憩しよう。お腹が空いたら、食べたいものを感じて、食べよう。求めてもらえる、誰かの役に立てる、仕事をしてみよう。

誰かを笑顔に、幸せにできたら、その笑顔や幸せにも私が生きている。そうして日々を生きる間にも、生きていることを通して、何かを知り、学び、何かに気づいて、知らない間にちょっとずつ、もっと幸せになるために成長していくのだから。