カンタベリーでのお仕事
/石器時代、先史時代からの人々の生活の跡が残る、歴史の古い町、カンタベリー。去年からずっと呼ばれていたのだけれど、ロックダウンを始め様々な状況が許さなくてこれなかったのが、やっと今回来れました。
意識していたわけではなかったのだけれど、新月の日に来ていました。
朝5時にロンドンの自宅を出て、カンタベリー近くの海辺の町ウィスタブルに向かいました。日の出に合わせて、海と太陽に向かっての始まりの儀式を行うためです。
ウィスタブルのタンカートンビーチの引き潮が日の出のしばらく後にあるので、その時には海底だった場所に立って儀式ができるのです。引き潮には、モンサンミッシェルやセントマイケルザマウント のように、海の中に道が浮かび上がります。ただ、ここの道は、その先の島ではなく、以下の写真のように海の中に向かっている道なんです。ドローン撮影された写真をみると、龍みたいですね。
この海底に沈んでいた場所で、海と太陽と太陽系とシリウスとその他の星々への祈りを捧げ、コミュニケーションをしながら、必要なワークを次々行いました。以下がワークが終わったあと、海底の大地とご会話をしている私です。
もう4月も半ばなのに、摂氏一度しかなくて、温かくしてきたつもりでしたが、一時間ほどもワークしたので、すごく寒くて凍えそうでした。
足元には、海藻や牡蠣があちこちにいて、すぐまた水の中に入っていけると思うのだけど、波動で対話すると、海の中の音楽のような波動の響きが返ってきました。海藻は地上で最も古い最初の植物です。すぐまた海に戻っていく、岩に生えたままの海藻の波動は、大海の音楽をまだ湛えていました。星々の音楽が重なるようにあるような、太古からのそして未来への音楽です。
心が通った石をいくつかお預かりして帰ることにしました。特別なエネルギーが入る石を選び、必要な人に出会ったら、お渡しできればと思いました。
そのまま、カンタベリーに向かい、カンタベリーの街の近くにあるブリーンの森に立ち寄りました。
石器時代、先史時代から人々が生活していたという、英国南東部カンタベリーは、ケルト、ローマ人、北欧からのバイキング、欧州のゲルマン人などの支配文化の影響が歴史として残る町です。その近くの森の木々は、そうした歴史を語り継いでいます。私はワークに出ると、まず近辺の木々に話を聞きます。それぞれの木々が違う歴史を教えてくれます。その木が古い木でなくても、古代からの歴史を伝えてくれることもあります。森は、時を超えた自然の調和の歴史を年輪だけでなく、その波動に伝えています。人が伝えていく歴史ではない、自然の刻む歴史がそこに語られるのを、私は心を添えるように聞いていきます。
この日はとても寒い日で、今年は森もまだ緑が少なく、緑なのは苔と若芽と、一部の草だけでした。苔は海藻の次に古い植物なんです。まだ草木もないときから、シダの生まれる前から、苔は地上にありました。苔は倒れた木や、切られた木に茂って、それらを食べるようにはびこっていました。様々な苔が成す群れは、森の群のように地上を覆っており、空から森を見ているように思えました。
いつも木々と話すことが多かったのですが、この日は苔とばかり話をし、宇宙についての話もしました。話をしながら、色々思い出しもしながら、宇宙や地上の随所に波動を送りながら、私にできる仕事をさせていただきました。
森の仕事が終わると、とうとうカンタベリーの街に向かいました。車を宿泊所近くに停めて、早速大聖堂に向かいましたが、大聖堂の中で祈れる時間は決められており、この日は大聖堂の周りのカンタベリーの街を歩きながら、ワークの準備と、この日のワークのまとめをしました。人間のワークですね。
昼間には近辺の人々のエネルギーに触れさせていただきつつ、夜には近辺の村での亡霊などの鎮魂のワークもしながら、生きていても死んでいても存在する魂の迷いについての、導きの波動の音楽を作ってみたりしながら、癒しと自己実現を手伝って生きたいワーカーとしての自分の準備もさせていただきました。
そうした新月を過ごして、一通りのワークをさせていただきつつ、準備ができたところで、翌朝、カンタベリー大聖堂に祈りを行いに参りました。
カンタベリー大聖堂には誰もいなくて、私は一人ポツンと大聖堂の真ん中に跪いて、大地と海と太陽と月と自然と植物と人間についての祈りを捧げました。
一通りのご挨拶の祈りを終え、無になって、心を開き、光を受け取ると、私の中に感謝と願いが溢れてきました。
私の命。私の願い。
どうか、この世界の例外なく全ての人が、一人一人に独自の尊い願いと目的に気づいて、それを達成することができますように。
どんな暗いところにいる人も、どんなに迷っている人も、そこから癒されて、愛と喜びに満ちることができますように。
一人でも多くの人が、深く癒され、喜びと愛に満たされ、幸せになることができますように。
それをお手伝いさせていただけることが、私の願いです。
どうか、一人でも多くの人が、自分の愛と喜びと素晴らしさに気づき、その大きな光と素晴らしさに圧倒されることなく、堂々とそれを生きるための勇気を持てますように。
そのためになら、私は自分自身の恐れを超えます。
私を包む大きな愛を感じて、涙が溢れてきました。
2007年7月の新月に呼ばれた伊勢で感動したときのような、大きな愛に包まれた感覚でした。その時は、激しい台風の雨で誰も走っていない高速道路を、滑るように走ってたどり着いたのですが、途中で死んでしまうかもしれないと思ったほどの嵐の中の旅でした。そんな時に誰もこなかったのか、人払いされた伊勢神宮は、私達以外誰もいなくて、しかも伊勢神宮の中だけが、台風の目にあるかのように風もなく静かで驚きました。大人になって初めて行く伊勢神宮でしたが、非現実的なほど静かでした。
その時も、大きなお仕事をいただき、そうして生かしてもらえることへの感謝と感動で涙が出ました。
今回、カンタベリー大聖堂では、2007年に伊勢で感じた時と同じように宗教を超える何か大きなものを感じました。このために呼んでいただいたんだと思って、本当に有り難かったです。
宗教を超える宇宙的な意識やエネルギーは、あちこちで感じますが、この大きな愛のようなものからの、新しいお仕事の始まりの特別大きな祝福を受けられる機会というのは、2007年以来でした。
また、伊勢の神道も、カンタベリー大聖堂のイングランド国教会もなく、大きな一つの愛が、こうしたそれぞれの国を代表する神聖な巡礼の祈りの場所にあることに、世界の進化を感じることができました。それは喜ばしい人間社会の発展であり、進化です。
国境がなくなって、宗教も超えて、人種も民族も超えて、人の心が一つに繋がって、誰もが生かし合う世界。それに向かって私は私の仕事をしようと思いました。
これからどんなことがあっても、私の生命の願いが叶うことを信じて、乗り越えていこうと思いました。それが私にとっての生命なんだと感じることができ、深い感謝を感じました。
大聖堂は中も外も工事中でした。美しい天井や壁面の意匠やステンドグラスも見えなかったけれど、以前伺った時には感じられなかったすごく神聖な波動に包まれました。誰もいない時に、静かに思いっきり祈ってワークさせていただけるなんて、ロックダウンの今だけなんじゃないかと思いました。これもお仕事のための人払いだったかもしれませんが、思いがけなく素晴らしい神聖な経験に、感謝しました。
今日はカンタベリー大聖堂の後、マーゲイト、ラムズゲート、ドーバーと三つの海辺に行き、それぞれウィスタブルの海でのワークからの続きの、海のワークを行いました。ドーバーにはもともと大きなお仕事で呼ばれていましたが、マーゲートは昨年に浄化に呼ばれて、ラムズゲートは急に呼ばれたばかりで行っただけでした。
マーゲートは海はともかく、町の波動の悪さに驚きました。ネガティブなものが引きつけられている何かがあるのだろうと思いました。できるだけ早くに立ち去りたいと思いました。一時間もいなかったと思います。ネガティブにも目的はあると思うし、そういうプロセスは人間にはあると思うので、悪いというわけではないと思いますが、治安の悪い街では英国で6番目というのもうなづけました。ここは簡単には綺麗にすることはできなさそうですが、こういう場所がまだまだあるのだろうなとわかりました。でも、そういう場所にはそういう場所の目的があると思うので、それを尊重しながらできることをさせていただこうと思いました。
ラムズゲートでは、海の生き物や精霊のワークをしました。
ドーバーは呼ばれていたので、現地の精霊その他の存在と交流し、海に関する星々のワークの続きも行いました。昔真冬のすごく寒い時に呼ばれた時には、寒すぎて思わずお断りしたりして、別の場所から遠隔でワークをしたこともありました。ドーバーは、時折大切なワークがある場所のようです。
一続きの陸地でも、海辺ごとにこんなに違うのは驚きですね。土地と人の社会の歴史や波動の違いなんでしょうね。1日でこんなにたくさんの海辺を回ることが普段はあまりないので、勉強にもなりました。
明朝は、再びカンタベリー大聖堂で早朝の祈りを捧げてから、ウィスタブルの海辺にご挨拶に行き、そのままロンドンに帰ろうと思います。
皆様に、ご自身の愛と真実への覚醒のための波動が届きますように。
2021年4月13日カンタベリーにて
朝倉裕美子