ウパニシャッドのご紹介

ウパニシャットは、インド哲学の古典です。繰り返しのように見えるところにも意味があり、無駄なく簡潔にまとめられています。すべて分かっているように思っていた時に突然わけが分からなくなったりするときには、こういう読み物が助けになります。そういう人が今多いのかなと思い、私自身も癒されたウパニシャットの第一章を訳してみました。以下は英訳されたもののいくつかから、仲裕美子が自分の経験と知識に照らして訳したものです。読む人の経験によって深読みできるように工夫された文献なので、なるべく原文の意図から逸れないよう、かつ分かりやすく努めて訳しました。お役にたてれば幸いです。

それは完璧だ。これも完璧だ。完璧は完璧からあらわれる。完璧から完璧を取った残りも完璧である。
すべてに平和があるように。ここにも、そこにも、あそこにも。

生きるものすべては「神」に満ちている。何も要求せず楽しみなさい。
「神」の持ち物をむやみに求めてはならない。
それから自分のすべきことを、一生の百年の間行うことを望みなさい。
人生において、自分の行いを執着や傲慢から避ける方法は他にない。

「真実の自分」を否定するものは、死んでも盲目で闇に包まれた神不在の人生に戻ることになる。

「真実の自分」はひとつである。
不動でありながら心より速く動く。
鈍感ながら真っ先に見通す。
不動ながら追随を許さない。
「真実の自分」の息はあらゆるものの生命である。

不動でありながらそれは動き、遠くにありながら近くにあり、全ての中にありながら全ての外にある。
自分の中に全ての存在を見い出し、全ての存在の中に確信を持って自分を見い出せる者が、悲しむことはない。
生命がひとつであると知り、自らに全ての存在を見い出すことのできる賢い人間が、惑わされたり悲しみに暮れることがあるものか。

「真実の自分」はあらゆるところにある。

体を持たず、形を持たず、 完璧であり、純粋であり、
賢明であり、全知であり、 光り輝き、自立しつつ全てを超越しながら、
永遠の存在の中で、どの瞬間にもその使命を刻みつけていくものである。

盲目の闇をかいくぐって、自然に顕われて来る知識に忠実でありなさい。
底なしの闇をかいくぐって、奇跡としてもたらされる神聖な知識に忠実でありなさい。
かつて賢者達がはっきりと説明していたように、これらの知識はそれぞれが明らかな成果をもたらすだろう。
これら自然に現れてくる知識と奇跡にもたらされる知識の両方を知りそれらを見分けられる者は、
まず最初の知識によって滅びることを安全に通り抜け、二つ目の知識を超えることによって永遠の命を得る。

盲目の闇をかいくぐって、自然がもたらす種に忠実でありなさい。
底なしの闇をかいくぐって、自然のもたらす形状に忠実でありなさい。
かつて賢者達がはっきりと説明していたように、自然がもたらす種は一つの結果を生み、
そしてその形状はもうひとつの結果をもたらす。
これら自然がもたらす種と自然のもたらす形状の両方を知りそれらを見分けられる者は、
まず最初の知識によって滅びることを安全に通り抜け、二つ目の知識を超えることによって永遠の命を得る。

瓶には金の栓がつけられている。神が、それを引き抜き、現実を開放してくれるのを、私は切望している。
守護者よ、見者よ、全てを制する者よ、生命の泉よ、世界の管理人よ、
光を浪費せずに光を集め、その祝福された本体を、あらゆるものの神を見せてください。
私自身がその神であると。

2011年7月26日 仲裕美子・訳